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2020年7月15日 (水)

「堺空襲犠牲者殉難地追悼会」

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 35回めを迎えた堺空襲犠牲者殉難地追悼会は先日、7月10日南海堺駅南詰の橋のたもとで80人近くの参加者で行われました。75年前の7月10日未明、118機ともいわれるB29の大編隊が堺を襲い、数時間で死者1860人余、全焼戸数18009戸、約7万人が罹災という大惨事になり、堺大空襲と呼ばれています。

 この追悼会は、1986年から堺大空襲で亡くなった人びとを追悼し、空襲体験や平和の尊さを次世代の子どもたちに伝えようと、堺市民懇と戦没者遺族会が共催し、堺市教職員組合が準備や運営の中心的な役割を担ってきました。 

 組合は「私たちは忘れない」堺市民の戦争体験を、子どもたちを通じて保護者(特に祖父母)に広く呼びかけ、1975年から85年まで10年にわたって第3集まで編纂しました。この「私たちは忘れない」全3冊は全小中学校や図書館にも配架され、平和教育の教材として広く使用されてきました。現在も図書室にあると思います。また、堺大空襲を描いた「おかあちゃんごめんね」のビデオも堺の学校現場で教材として広く使われています。

 先日の追悼会では「初めてこの催しを知った。今も追悼を続けていることに、感謝します」の声や、足に残るケロイドを見せながら「母と焼夷弾の中を逃げた。弟は焼死し、自分も大きな火傷に苦しんだ」と語る方もおられた。また当日配布したパンフレットには、中学校社会科教師で大先輩である網信二さん(2016年4月享年82歳)が堺空襲の実相の研究と平和の語り部をライフワークとされたこと、先述の戦争体験記編纂に中心(当時、教組副委員長)で仕上げられたこと、退職後、「堺大空襲をさぐる」と題して次々に研究を深め、何回も改訂版を出し、戦争展(今年16年目)でも大きな力を発揮されたことなども紹介されています。

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